ブローニング M1919 GPMG

第2次世界大戦(1939-1945)でアメリカ軍兵士が使用した多くの歩兵銃と同様に、ブローニングM1919も第1次世界大戦(1914-1918)で考案され生産された、あるいは開発から始まったという共通の歴史がある。 M1919も例外ではなく、ブローニングM1917として水冷式の原型が登場した。 この銃は、ハイラム・マキシムの設計をほぼ模倣し、イギリスのヴィッカース0.303シリーズがそれに続いた。 いずれも水冷式で、戦場では重い三脚が必要であった。 M1917は1918年11月の終戦までに6万8000丁が生産された。
水冷式は初期の機関銃技術に不可欠なものだった。 初期の機関銃は発射速度が速く、その熱で銃身がゆがんだり割れたりすることがあった。 そのため、機関銃に接続された水筒から、フレキシブルなホースで水を送り込んでいた。 銃身はバレルジャケットで覆われ、銃身の長さに合わせて水が放出され、銃身を冷やすのに役立った。 このため、冷却水の供給が安定している限り(補給は重要な条件だった)、銃は問題なく安定した発射速度を維持することができた。 1920年代から1930年代にかけて、M1917をベースに改良が加えられた。
ガス作動の反動と、さらに重要な点である空冷によって、より汎用性の高い機関銃を作ろうということで、水冷機能と重いバレルジャケットを除いたブローニングM1918が登場したのである。 その結果、第一次世界大戦で戦車・車載用機関銃として標準化されたブローニングM1919が誕生したのである。 しかし、この設計は完成には程遠く、戦後になってようやく登場した。 このシリーズでは、銃身が重くなり、これを空冷用の穴あきジャケットに変更したのが特徴である。 このほか、航空機だけでなく戦車や車両にも搭載できるよう、より軽量化された武器が作られた。 M1919A1は、戦後の英米共同開発戦車であるマークVIIIシリーズに搭載するために開発されたもので、それまでのイギリス製戦車の菱形形状を踏襲している。 M1919A2は、騎兵隊の在庫を確保するために戦場で軽量化されたものである。 三脚をよりコンパクトにし、荷馬車や車輪付きの馬車で移動できるように設計された。 その後、M1919A3は歩兵用の汎用型であり、M1919の最終型であるM1919A4の原型となるものである。

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