映画・テレビ俳優のウィリアム・ディベインは、ニューヨーク州オルバニーに、フランクリン・D・ルーズベルトがニューヨーク州知事だったときに運転手を務めていたジョセフ・ディベインの息子として生まれる。 ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツを卒業後、ステージに立つ。 シャーリー・ナイトと共演した「The Watering Place」でようやくブロードウェイデビューを果たしたが、1回きりの公演で失敗に終わった。 (1970年のシーズンには「The Chinese and Dr. Fish」で成功を収めたが、この作品は3週間しか上演されなかった。 ブロードウェイでの唯一の演出作品であるベトナム戦争ドラマ「G・R・ポイント」は1979年に32回公演され、マイケル・ジーターに1979年シアター・ワールド賞をもたらした)
自主制作の「イン・ザ・カントリー」(1967)で革命家として映画デビュー、シリーズTVに出演するようになった。 71年にロバート・アルトマンの傑作『マッケイブ&ミセス・ミラー』(71)で自由企業主義に徹する弁護士役で小品ながら印象に残る役を得たが、評判を呼んだのは73年のキューバ危機を描いたテレビ映画『10月のミサイル』(74)でジョン・F・ケネディ大統領を演じたことだった。 アルフレッド・ヒッチコック監督の『ファミリー・プロット』(1976年)とジョン・シュレシンジャー監督の『マラソンマン』(1976年)(共に1976年)の主要役と『ブレイキング・トレーニング』(1977年)のバッド・ニュース・ベアーズ、さらにシュレシンジャー監督の『ヤンクス』(1979年)とジェームズ・ジョーンズの傑作バラックドラマをテレビ化した『ここから永遠に』(1979年)に出演しスターダムにのぼりつめた。 しかし、シュレシンジャー監督のコメディ『ホンキートンク・フリーウェイ』(1981年)は、2400万ドルの予算に対して興行収入がわずか200万ドルという大失敗作で、映画界での成功は絶望的なものとなってしまった。 ケネディ大統領に似ていることと、ケネディ風のボストン訛りをマスターできることから、『ウエスト・ウィング』(1999)、『24』(2001)、『スターゲイト SG-1』(1997)などの番組で大統領を含む政治家を演じる需要があり続けている。
Arquidia Mantina
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