アーチの歴史

2001年の春、学校のレポートとして書いたものです。 3859>

アーチは驚くべき建築的発見で、古代にさかのぼるが、19世紀まで、梁を使わずに建物を屋根にする唯一の方法として知られていたので、今日でも広く使用されている。 半円形(ローマ式)、分節形(半円以下)、尖った形(ゴシック式)など、さまざまな形状がある。 アーチは柱とまぐさから発展したもので、形や原理がアーチに似ているコーベルというものもある。 3859>

アーチは、ブーソアと呼ばれるくさび形のブロックを、狭い面を開口部に向けてセットし、ロックするように作られている。 一番上のブソアはキーストーンと呼ばれる。 一度ロックされたアーチは、どんな重さでも崩れることはなく、危険なのは圧力で崩れ落ちることである。 これを防ぐために、ほとんどのアーチは他のアーチ、壁、またはバットレスからのサポートを必要とする。

アーチは早くもメソポタミアなど、多くの異なる文化で発見されている。 エジプトでは墓や丸天井に使われたが、神殿のような記念碑的建築には決して使われなかった。 どうやらこの用途には適さないと考えたようだ。 ギリシャ人もアーチを実用的な建築にのみ使用したが、彼らが開発した原理の多くは、後にローマ人によって利用された

全体として、アーチが何らかの記念碑に使用されるようになったのは、エトルリア人の時代になってからである。 その最たるものがポルタ・アウグスタで、アーチとギリシア建築の思想が融合している。 ローマ人はこの組み合わせを借用して何度も使用したが、その発明はもっぱらエトルリア人のものである。 ローマ人はそれ以前の民族から多くの技術を借用したが、公道などの歩道には、2つの高い台座の上にアーチを設置することを考案している。 コロッセオの外壁はほとんどアーチで構成されているように見える。 ローマ人が基本的なアーチから発展させた樽形ヴォールトと、より複雑な溝形ヴォールトを見ることができる。

アーチは中世にも使われ、特に大聖堂(上図、右から2番目)では、多くの窓があるために壁が弱くなっている場合、石の天井の大きな重量を支えるのに役立った。 このとき、アーチを支えるためにバットレスがよく使われた。 バットレスは、石柱の上部に「橋」を架け、アーチや壁面に接合して建物を支える単純な構造で、その高さから「フライング・バットレス」と呼ばれることもある。 また、大聖堂では、アーチが長く連なって、互いを支え合っているのがよく見られた。 この頃、伝統的な丸みを帯びたアーチに代わるものとして、尖ったアーチが開発され始めた。

建築の特徴として、ほぼ同時期に中東で発見されたイスラム教のアーチがある。 この文化圏でもアーチに多くの進歩があった。 ここでは先の尖ったアーチが使われていたが、イスラム教徒は馬蹄形のアーチや、アーチの上にアーチを重ねる「スタックド・アーチ」なども開発した。 積み上げアーチ」は、建築家が目的に対して短すぎる柱を使わざるを得なかったため、柱を積み上げてアーチで固定するという偶然から生まれたアイデアだと考えられている。 イスラム教のアーチは、中東のモスクに見られる。


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